BMW=Band Master's Words=バンドマスターの金言

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~ 別格だネ、この人は ~

no.20190221

自分がこれからやるべき音楽は、そう!これだ!イージー・リスニングだ!と、熱い気持ちで始めたオーケストラ。
アルバムのレコーディングやライブに向けて、イージー・リスニングはかくあるべし!という美意識や音楽的センスを知りたい思いで、この世界の先人たちの偉業を聴くことが多くなった。今や余程のものでない限り、大体の音源は配信サイトで聴くことができる時代、なんともありがたいことではある。昔なら、レコード・ショップ行って探し、見つからなければオーダーして取り寄せてもらわなければならなかったことを思えば天国にいる気分。ただ、その苦労の分だけ、手に入れた音源に対する思い入れやそこから得た知識も半端ではなかったのだが…。
話を戻そう。日々、イージー・リスニングの先人たちの素晴らしい仕事を聴くたびに、今までこの魅力に気がつかなかったことを恥ずかしく思い、その完璧さにただただ脱帽するのみ。彼らのセンスを早く吸収して、自分のオーケストラに反映させ、多くの人にこの音楽の魅力を伝え、一緒に楽しみたい、今はひたすらその夢を追いかけている。
イージー・リスニングと一言で言っても、そのスタイルは様々であり、指揮するバンド・マスターや編曲家によって同じ曲が全く違うムードで演奏されることもしばしばだ。要はそのオーケストラの中心人物の考え方やセンスの問題であり、その曲が好きかどうかはそこに大きく左右される。だから自分の中でも、このオーケストラは好き、とか、このアレンジはあまり好みでない、など、偉大な先人たちに失礼とは思いつつも自分なりの選別が出来てくるのだ。
その数多いる偉大なイージー・リスニングの先人たちの中で、この人は別格だ!とかなり確信を持って言えるのが「ヘンリー・マンシーニ」その人である。ヘンリー・マンシーニ、この名前は全世界の音楽ファンなら、たとえロック・ファンであろうと、ジャズ・ファンであろうと名前くらいは聞いたことがあるはず、いや、名前は知らなくても「ムーン・リバー」「酒とバラの日々」という曲名くらいは知っているだろう。
マンシーニを聴き、彼のことを知るたびに、こんな偉大なポピュラー音楽家は彼をおいていないのでは、と思えるほど素晴らしい音楽家だとわかってくる。「ティファニーで朝食を」を始めとする映画音楽や「ピーター・ガン」や「刑事コロンボ」といったTV番組の音楽など、数知れないほどの名作を残している。
彼の音楽を聴くたびに思うのは、曲のテイストが実に多種多様で、どれ一つ取っても同じテイストで書かれた曲が無いのでは、と思うくらいバラエティに富んでいるのだ。ジャズ調、ラテン調、ハリウッド調、サスペンス調などなど、この世の音楽のありとあらゆるテイストを作品作りに生かしている。そして、何より、とっても愉快で、ひょうきんで、おしゃれで、でも、大衆的(これが大切!)で、どこか懐かしくて…。マンシーニって、本当に凄い!
彼が育つ中で、どこでどうやってそのセンスを身につけたのだろう、と今夜も眠れなくなる。
今だに世界中の人を幸せにしている映画音楽史上最も有名な曲「ムーン・リバー」を始めとして、アカデミー賞も何度も獲っていることは周知の事実だが、子供の時に渋谷パンテオンで観た映画、例えば「グレートレース」や「華麗なるヒコーキ野郎」の映画音楽もマンシーニだったのかと今になって知った。将来、イージー・リスニングのオーケストラを始めるなど思いもよらなかったあの頃から自然にボクの心に入り込んできていたことをとても嬉しく思っている。
マンシーニは人柄も温厚で、多くの人から慕われたという。彼には音楽だけでなく、そこも学ばなければと思うし、その人柄だからこそ成し得た仕事だったのだと理解すべきだろう。
これからもマンシーニには、いや、他の先人たちにも敬意を払いながら、イージー・リスニング、かくあるべし!と言う意味がわかる時まで耳を肥やしていきたい。
マンシーニは多くの偉業を成し遂げて、満70歳と2ヶ月で没している。
あ、気づけば今年の年末に追いついてしまうなぁ、マンシーニに、そこだけは…。

~ 暗闇が消えてゆく ~

no.20190121

夕日に染まった空の下、さて今日も一杯やって帰りますか、と仕事帰りのサラリーマンや学校帰りの学生たちが向かうのは通い慣れた飲屋街。最初の一杯を口にしたその数秒後に訪れるなにものにも代え難い刺激、胃に染み渡るあのキュッとした感覚…。いやぁ、だから止められないよネ、って、すっかり軽度のアルカホリック。
昨日も結局呑んじゃったし、今日は軽くしておこう、なんて、いったいどの口が言ってるんだと一時間後には突っ込まれながらも気がつけば今夜もほろ酔い、絶好調!
幸せだよね、なんだかんだ言いながらも美味しく呑めるって。最近は心の底からそう思いながら、日々健康であることに感謝している。
この半世紀、あちこちの飲み屋さんに世話になってきたが、飲んべえの端くれとして自分流の飲み方というものを通してきた(つもり)。大体が個人経営の居酒屋が主流で、フランチャイズの店には、余程の時を除いて行かないし、カラオケの置いてある店にも行かない。高歌放吟もしないし、口論もしない、店の人に「おすすめは?」とも聞かない、連れたちと談笑しながらその時の気分に合う酒をひたすら呑み好きなものをいただく、というのが姿勢と言えば姿勢。
安い酒も好きだが、高いお酒も好き、どちらかに偏るようにはしたくない。ガード下もいいし、銀座のワインバーもいい。安いからといってまずいとは限らないし、高いからといって美味いとはかぎらない、その逆も然り、酒の美味さはその場の雰囲気で決まる。
最近、いい店を見つけてよく行くようになった。その店の主人は客との接し方がうまく、客の様子を見ながら串を焼き、魚をさばきながらちょうどいい潮時に話しかけて、ちょうどいい塩梅でまた仕事に戻る。ターミナル駅に近い歓楽街の一角で、小さな飲み屋がひしめき、人でごった返しているのだが、その店で呑んでいると少しも気にならない。店の空気はその主人が作っているということだろう。
来年開催される東京オリンピックの影響だろう、東京にはなんとなく再開発の波が押し寄せてきている。そのせいか、駅前の飲屋街が消えたかと思うと、そこに巨大なタワー・マンションが聳え立つ、という風景に変わってしまった街も多い。都内で(飲んべえには有名な)あちこちの飲屋街も再開発で惜しまれつつ消えていく運命にある、という報道も多く、まったくもって残念でしかたがない。駅前から雑多なエリアが消え、整然とした奇麗な町並みになる、それは悪いことだとは思わないが、それまでの町並み残し、防火や災害に強く、暮らしやすい町づくりを考えられなかったのだろうか。
なんでもかんでも一斉に壊して、高層ビルを作ればいいというものではない気がする。その後に現われたのは、人情や人の往来が溢れた繁華街ではなく、ただのコンクリート・ジャングル。実際、近くの大きな駅の飲屋街も、あっと言う間に無くなってしまい、体裁はいいものの、人の温度が感じられないひどくつまらない街になってしまった。
何も飲み屋が無くなったことを嘆いているわけではない。少しはヨーロッパのように伝統的な町並みを守りつつ、近代的な都市計画を立てることはできなかったのだろうか。
都市に大事な要素のひとつは、足を踏み入れた時にどこかワクワクするエリア、ドキドキするような闇。
そこにこそ、都会に生きる人間の「らしさ」がたくさんあるような気がするのだ。
「たっちゃん!酎ハイ、お替わり、ちょうだい!あと、冷やしトマトもネ!」

~ 映画「ボヘミアン・ラプソディ」からのメッセージ ~

no.20181221

音楽好きが集まれば、最近必ず話題になるのがQueenの映画「ボヘミアン・ラプソディ」。
あまりの評判の良さに押されて仕事の前に映画館に足を運んだ。
友人たちの話では、お客はQueenと同世代ばかりではなく、若い世代も多く動員しているということ、ほぉ、Queenの音楽は若い世代にも訴えるのかと嬉しかったが、自分が観たのは平日の午後だったせいか、お客も少なく、若い人の姿はチラホラ見かけただけで、空席も目立つ時間だった。
Queenといえば、自分がプロになった頃にデビューしたバンドで、外見の派手さと好みのブリティッシュ・ロックの香りに惹きつけられてデビュー・アルバムから聴いていた。自分は熱狂的なファンではなかったが、次々と大ヒットを飛ばし、エピソードにも事欠かない彼らの活躍は皆さんもご存知のとおり。
映画「ボヘミアン・ラプソディ」は音楽映画として、というより主人公のF・マーキュリーへのオマージュ的要素が強い映画だなという印象で、確かにその意味でよくできていたし、終盤ではポイントこそ違え、誰もが感動するシーンが演出されていた。あの『ライブ・エイド』のシーンはいかにCGとはいえ、臨場感溢れるもので、俳優たちの顔つき、動き、そしてこの映画のために習得したという演奏技術には驚いた。
この映画を観て思ったことの一つに「人は何かを作り出そうとするとき、そのイメージに向かって結果を出すまで突き進んでいくべきだ」という当たり前のことだ。
映画の中でF・マーキュリーのアイデアを実現するために、スタジオでいろいろな実験をするシーンがある。ティンパニの上に何かの破片?をたくさん乗せて響かせたり、ピアノの中に掃除道具を入れて音を変調させたり、というような、スタッフが驚くようなことをスタジオで始め、彼ら=F・マーキュリーだけに聴こえていた音を具現化し、Queenだけが持つオリジナリティを創っていった。そして、不朽の名作「ボヘミアン・ラプソディ」のレコーディングでは、ドラムのロジャー・テイラーのコーラスを何回も重ね、出来上がった時は録音テープが劣化していたという。それは70年代初頭のレコーディング技術の機能の限界を上回る作業であり、当時はまだ発展途上の24チャンネルのレコーダーで、もちろん、アナログ・レコーディング、録音テープもアナログのマルチ・テープだった。それを何十回、何百回も回して録音すれば、自ずからテープは擦り減り、音は劣化し歪んでくるのは当然。しかし、彼らの情熱やエネルギーはそれを上回りポップ史上に残る名作を産み出した、まさに神業と言えるだろう。(この話はThe Beatles『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』を筆頭に60年代~70年代のアーティストの作品にも言える)
ここで思うのは、もしQueenが今のバンドで、今のレコーディング技術で制作をしていたらどんな音楽になっていただろう、ということだ。この問いに、愚問!時代背景が違う!という声も聴こえてきそうだが、それをわかった上で筆を進めよう。 その後、レコーディング技術は飛躍的に進化し、今では録音できるチャンネル数は無限、テープは使わず、ハード・ディスクなので劣化も無い、歌の音程を修正することもあっという間にできてしまう、アーティストにとって夢のような技術でレコーディングができる世界になった。その技術を借りればロジャー・テイラーもあれほど苦しまず、短時間でコーラス・ワークを終え、しかも奇麗な音で録音することができたはずだ。今のレコーディング技術はアーティストや制作者のどんな要求にもほぼ応えることができるようにシステム化されている。言いたいことは、アーティストにとって楽に作業ができ、短時間で終えることはありがたいことではあるが、そこに技術を越え、新しい世界観を作り出すための情熱やエネルギーはどれほど反映されるのだろうか?苦労して作る得難い音は?オリジナリティは?
今の技術に支えられ、アーティストや自分も含めた制作者の心の隅に「(あの技術で)なんとかなる」という安易な気持ちは潜んでないだろうか?もちろん、今も音楽制作に関わるものは皆、必死であるが、Queenを象徴とするあの頃の制作現場はより必死だったように思える。それは「今、ここで作るものが答えで、後でなんとかならない」という技術の限界を理解していたからこその必死さであり、だからこそパワー溢れ、50年経った今も心に響く作品になった、ということも言えるのではないだろうか?もちろん、便利な技術は無いよりはあった方がいいが、要はそれを使う我々の姿勢をいつも見つめ、エネルギーに遜色をきたしてはならない、そのことを映画「ボヘミアン・ラプソディ」の『We Are The Champions』に不覚にも涙しながら思った冬の夕暮れだった。

~いいの、いいの、吉田さん、おまけだから!~

no.20181121

我が家の近くに小さなコロッケ屋がある。このあたりに引っ越して来てからだから、かれこれ30年以上の付き合いになるだろうか。コロッケは言うに及ばず、その店のトンカツ、メンチ、焼豚がボクは大好きなので、月に3~4度はお世話になっている。家で仕事をしていて、昼時におなかが減ると、あ~コロッケ、揚げたてのコロッケ!と頭と体が要求してくるのだ。揚げたてのコロッケにキャベツを添えて、ごくごく普通のソースをかけてご飯と一緒にほお張る時の幸せ!これに漬け物があればなんの文句もない。こういう昼ご飯って、思えば子供の時からずっと変わらないなぁ、土曜日、学校の給食がない時の家の昼ご飯は大抵こんなもんだったし、それを嫌だと思ったことなんてなかった。

「あ、吉田さん、まいど! 今日は休み?」その店に顔を出せば店主のおじさんはいつもと同じ調子で声をかけてくる。「コロッケ、揚がってる?」「今、ちょうど揚がったところ。吉田さんが来る頃だと思ってさ。」なんて調子の良いこともいいながら、揚げたてを包んでくれる。お金を払って、包みを受け取ると、中には頼んだコロッケが2つとポテト・サラダが入っている。「あれ?おじさん、ポテサラは?」「いいの、いいの、おまけだから!まいど!」。「いつも悪いね、ありがと!」こんな小さな出来事でボクは一日ハッピーで、仕事も頑張ろうとういう気が湧いてくる。
ポテサラをおまけにしてくれたことで得をしたから、というのではない。いや、確かにそれも無いではないが、それよりもなによりも、コロッケを買っただけでそれ以上を返してくれたおじさんの気持ちが嬉しかったし、ボクの心も晴れやかだった。こうして、ボクは来週も再来週もおじさんの店にコロッケ、いや、次はメンチにしよう、を買いに行くのだ。

こんな出来事や風景が自分の生活の中にあると、近代システムで管理されたビジネスがどれほど息苦しいものか、嫌でも感じざるを得ない。昔、こんなことがあった。都内のパン屋で買い物をして、レジで清算、金額は「¥1,001」、財布を見ると小銭もなく、一万円札があるのみ。しかたない、「すみません、これでおねがいします」とお金を出すと…、¥8,999のおつりがカルトンに乗っていた。もちろん、間違いではない。しかし、コロッケ屋のおじさんなら、「はい、¥9,000のおつりネ」といって返してきたかもしれない、いや、返してきたと思う。まけて欲しいというのではない、ではなくて、すまなそうに一万円札を出した客の気持ちを汲んで、「一円勉強させていただきます、またよろしくおねがいします」となぜ言えなかったのかということなのだ。もちろん、この場合、店が正しい、そのことは重々わかっているのだが、あ~、ここで一円まけてくれたら次回も、いやこれからここでパンを買おう、という気になったことは間違いないと言いたいだけなのだ。
ご存知のように管理が徹底されたデパート、コンビニ、スーパー、チェーン店では一円たりともその日の清算に誤差があってはならないのだろう。そのことは現代に生活する消費者としてよくわかっている。
わかっているが、さきほどのようなパン屋でのことがあった時、やはりなにか皮膚感覚、というか微妙な違和感を感じるのはボクだけだろうか。(けして、一円くらいまけたっていいじゃん!という傲慢な気持ちではなく) 無言で済ませる買い物、コミュニケーションの無い接客、マニュアル通りにしか客の対応ができない店員などなど、少し意識を持って見渡せば、気づかぬうちになにやらずいぶんと世の中の人の間の温度差や、気持ちのあり場所が変わってきているようだ。
そんな都会の中で、ボクは試しにやってみたことがある。ファミリー・レストランの中では「Denny's」がお気に入りで、いつもいく店も決まっている。その店のホール・スタッフに顔と、できれば名前も憶えてもらおうと思い、週に一度ほぼ同じ時間にその店に行って飲食を重ね、会計時には手書きの領収書に名前も書いてもらうようにした。
それを数ヶ月、続けただろうか…。その店の店長もホール・スタッフも、こちらの方が名札を見なくても憶えてしまい、向こうは誰もボクの名前は呼んでくれなかった、もちろん当たり前である。夢見ていたのは「Denny's」の扉を開けた瞬間、全スタッフが並び、「いらっしゃいませ!吉田さん!」ということであったのだが…。(それでも「Denny's」は好き!)

やはり、その夢が叶うのは大好きなコロッケ屋さんだけなのだ。
おじさんの店ような個人商店の灯がどんどん消えていく現代、本当に寂しい限りだ。
ボクは商店も居酒屋も、その店主の息がかかっている個人経営の店が好きで、そこで買い物したこと、呑み食いしたこと、友達や客同士でしゃべったことはなにかどこか、身に付くという感じがしているし、そこに本当の世間の縮図も見いだせるような気がするのだ。人情って、時にうざいが、やっぱりそれを感じる人生がいい。

「いいの、いいの、吉田さん、おまけだから! まいど!」 こうでなくちゃ、ネ!

~ 1010 ~

no.20181021

○I○Iではない、1010である。どこかのデパートのロゴと視覚的に勘違いすることもあるくらい記号的なこの数字は、10月10日のことで、かつてその日は「体育の日」という国民の祝日だった。
今では10月の第二月曜日になったせいで、必ずしも10月10日が体育の日ということにはならなくなってしまったが、我々の世代にはやはり「10月10日は体育の日」という思い込みが今でもあると思う。
というか、我々にとって体育の日は10月10日でなくてはならない。どうしてかと言えば、54年前、1964年10月10日は、あの『東京オリンピック』の開会式の日であったことは我々の記憶から消え去ることはないからだ。
今回は『東京オリンピック』という昭和を飾る一大イベントにまつわる個人的な想い出話をしよう。

その頃、中学生だったボクはポップス・ミュージックに興味を持ち始め、ビートルズやベンチャーズを聴いてさらに音楽への熱が上がっていた時期だった。そこへオリンピックである。しかも、渋谷と新宿がメイン会場になるということで、洋楽好きな子供たちの間には期待が高まった。オリンピックを観に世界からたくさんの観光客が来る、そしてその中には有名な歌手やミュージシャンもいるに違いない、彼らの歌や演奏を聴く絶好のチャンス!とばかりに始まる前から大盛り上がりであった。もしかするとビートルズやビーチ・ボーイズも開会式で歌うかも、などと勝手に想像は膨らんでいった。

ボクは生まれも育ちも渋谷の常磐松というところで、渋谷駅から歩いても10分、青山通りと明治通りに挟まれたとても便利で閑静な地域だった。オリンピックが開催されるというので渋谷区一帯の環境整備が大々的に始まったのはその数年前からである。当時、渋谷駅から六本木に向かう今の六本木通りはなく、だだっぴろい平地があるだけだった。嘘みたいだが、もっと小さい頃、そこはススキの原で、凧揚げやトロッコに乗った記憶もあるくらいの場所、そこに幹線道路を造るというのである。しかも、青山学院の敷地を通るので、平行して走る高速道路はトンネルにするという(現在の青山トンネル)。その計画の真上にあった叔父の家はレールに乗せて移動させられ、その煽りを受けた我が家は並木橋近辺に引っ越しを余儀なくされた。渋谷中のあちこちで同じような大工事が進み、毎日変わりゆく街の風景に明るい未来が見えていた。小学校に入る前、「ワシントン・ハイツ」という米軍の将校のための施設(実際に渋谷の街中にはMPという米軍の軍警察のジープが走り回っていた)だった代々木公園一帯は今も残る二つの近代的なスポーツ・アリーナに姿を変え、その恐竜のような偉容を初めて目にしたときの人々の驚きといったら、飛行機や自動車を初めて見た原始人と同じだったといっても過言ではない。

そしていやでも、オリンピックが世界を連れてくる、ということを実感せざるをえない事態が起きた。渋谷区は膨大な国費の援助を受け、区内全域の下水道を整備し、全戸に水洗トイレをほぼ無償で設置、外国人受け入れの準備を着々と進めていった。もちろん、昨日まで汲取式だった(当時は都内も浄化槽ではなくバキューム・カーによる汲取式だった)我が家も水洗トイレになり、唯一トイレに関しては文化的生活を送ることになったのである。これもオリンピックのおかげだと母が喜んでいたことを思い出す。競技は競技場やその他の施設でやるのだから、なにも辺りの住民のトイレまで整備しなくてもいいのではないか?と思うのは大きな間違い。区報には「オリンピックで多くの外国人の方が来日、特に競技場がある渋谷には予想以上の外国人が集まります。その人たちがいつどこでも用が足せるよう、区民の皆様のご協力をお願いします。」とあったように朧げながら記憶している。(記憶違いかも 笑)そう、全戸水洗トイレ化の意味は、外国人がいつでも用を足せるように、ということであった。(実はもうひとつ、全戸水洗化することによって東京はこんなに清潔で文化的レベルが高い、ということを諸国に示したかったこともあった)まさか、本当に我が家に外国人が来て、「トイレを貸してください。」ということなど無いと思うが、それでも区報にあるようにいつ何時外国人が来るかもしれない、それに心せよ、ということなのだ。母は「あんた、中学で英語習ってるんでしょ?」などとかなり本気で心配していた。オリンピックが来る、ということは外国人がトイレを借りにやってくるということなのかと、終わるまでどこか緊張感に包まれた日々であった。
しかし、区には大きく見落としたポイントがあった。それは大方の、いや100%の外国人にはいくら水洗であっても和式トイレは使えない、ということだった。下水、水洗トイレを完備したところまでは良かったが、さすがに洋式便器にまでは気が回らなかったのだろう。気が回ったとして、面食らうのは住民で、洋式トイレなど使い方も知らなかった時代であった。

いよいよ開会式の日が来た。特異日といわれる10月10日に設定したおかげか、どこまでも天高く馬肥ゆる秋空は快晴であった。国立競技場に行けなかったほとんどの日本人はテレビの前に鎮座して今か今かとセレモニーの開始を待っていた。当時のテレビ受像機たるや、14~17インチという、今のパソコンのモニターにも劣るサイズ。そこにオリンピックの開会式を伝えようというのである。我が家からわずか数キロ先で行われている世紀の祭典を小さなモニターにしがみついて観ている家族を哀れというほかはなかった。
そのときだ!「航空自衛隊ブルー・インパルスが東京の大空に五色の大輪を描いています!」というアナウンサーの叫び声とともに画面に映し出された絵に衝撃を受けたボクは走って表に出て空を見上げた。
その時の驚き、感動、いや、どのことばも当てはまらないそれまで味わったことのない最高の気持ち。我が家の空にも特大の五色の五輪が描かれていたのだ。空を見上げながら、あ~、オリンピックが始まるんだ、ボーッとそんなことを考えていたように思う。

バレーボールの東洋の魔女、マラソンのアベベ、円谷、体操のチャスラフスカ、重量挙げの三宅などなど、懐かしい名前が蘇る。
その裏では予算が足りなかったのか、とにかく記念切手をたくさん買わされ、興味もない競技を見学させられたり、渋谷区の中学生は水洗トイレの代償にいろいろと大変だったこともあったように憶えている。
さて、2020年の東京オリンピックはどんな大会になるのだろう。一つわかっているのは、10月10日は祝日でなくなり、2020年7月24日に行われるオリンピックの開会式の日が新たに「スポーツの日」として制定されるということ。10月10日は、昭和にそんな日があったね、と忘れ去られていく運命なのかもしれない。オリンピックは平和の祭典、前回にも増して多くの外国人が日本を訪れるだろう。スポーツや人種を越えての交流を通して世界中に平和な日々を続くことを祈りながら、諸外国の皆さん、2020年には日本全国、全戸、洋式便座とウオッシュレットが完備されています、ご安心を!

~ それ、ちょっとNGですよ、お客さん! ~

no.20180921

最近に始まったことではないが、国際的にもっともポピュラーな日本の食のひとつに「鮨」がある。
和食の代表とも言える「鮨」ブームが始まったのはバブルの頃だろうか、仕事でNYCやロンドンにいっても必ず鮨屋はあったので、海外にいるにもかかわらず夜な夜な通ったことを憶えている。
鮨屋にいることで海外での緊張感もほぐれ、ある意味、カタルシスを感じていたのかもしれない。
さて、鮨屋というと誰もがテンションがあがり気持ちも引き締まって、客であることも忘れて、失礼のないように振る舞うにはどうしたらいいか、食べる順番は間違えてないか、職人さんとどんな話をしたらいいのか、などなど、頼まれもしないのに勝手にハードルを上げてしまう向きもあるようだ。(今話している鮨屋とは回転はしていない本来の鮨屋のこと) 言わせてもらうなら、鮨屋でのマナー、それは普通の日常的なマナーと一緒だと言っておきたい。
特別なルールなどはないが、店中での高歌放吟や他の客に迷惑なことはやらない、これは大人の常識として当たり前で、このような世間一般の常識さえ守れば、鮨屋という中で特別に緊張する必要もないと思う。
ただ、銭湯に入る前には必ず下湯を浴びてから、というように、実は鮨屋にも鮨屋ならではのルールめいたものがあるにはあるのだ、と言っておこう。ルールだからと言って店の壁に大きく貼り出されているわけではない。客がそれなりの経験をすることによって理解すべき、承知すべきルールとでも言おうか。
そのいくつかは書店に並ぶグルメ雑誌にも時々書いてあり、自分も合点がいくこともあるが、まずはそこを伝えておきたい。
1)鮨屋の職人が使う符牒(業界用語)を使ってはいけない
お茶のことを「あがり」、お醤油のことを「むらさき」、鮨飯のことを「しゃり」、生姜のことを「がり」、お勘定のことを「おあいそ」など、これらのことばは職人さんの間で使う符牒であって、知った風を装って言っている人を見ると恥ずかしくなる。普通に「お茶ください」「お勘定、お願いします」これでいいのだ。
2)子供をカウンターに座らせてはいけない
ボクにも馴染みの鮨屋がある。呑んで食べても一人1万円というリーズナブルな値段で、にぎりや巻きものは言うに及ばず、ちょっとしたアテも気が利いていてうれしい。この呑んで食べて1万円という値段、ボクは鮨屋はこれでいいのだと思っている。グルメ雑誌に乗っているような一人何万もするような鮨屋はごめんだし、行く気もしない。
論点がずれたが、ある時、その店に入ると有名人の家族が来ていて、二人の未就学児を堂々とカウンターに座らせ、のり巻きなど頼んでいる。子供の注文にいっぱしの職人が仕事をしている姿を見て、有名人だし、たぶん常連さんだから店も断れないのだろう、辛いところだなと思った。店は断れないのだから、ここでルールというべきか、もしかして自分たちのしていることっておかしいのかな?という空気を感じるべきは子供たちをカウンターに座らせ、さも当たり前のような顔をして呑み食いしている親である。そうでなくとも鮨屋は大人たちの世界、そこに家族で鮨を食べにくることはあってはならぬ、とは言わないが、少なくとも経験の中でその雰囲気を知っておくべきだと思う。自分たちは何度もこの店に来ているし、店の人も知っている、だから多少のわがままも聞いてもらってもいいんじゃない?他人に迷惑かけるわけじゃなし、って、それが勘違い、常識の物差しの尺度が違うことに気づかないのだろう。子供を連れて行ってもいい、でも家族はテーブル席でおとなしくいただきましょう、それがルールというものだ。
3)好きなものをすきなだけ食べていい
聞いたことがあるのだが、最初は卵焼きから頼むのが通だ、ということ。それが通なら通でなくて結構、という気持ちで、ボクは好きなもの、あるいは職人さんに「今日はなにがある?」と聞いて引っかかったものから普通に頼んでいる。よく「今日のおすすめは?」と聞いている方がいる。これはなにも鮨屋に限ったことでは無いが、この言い方はボクにはあまり気持ちよく思えない。特に生ものを扱う鮨屋に「何がおすすめ?」と聞くのは失礼極まる話であって、答えは全部だと言いたいのが職人の本音だと思う。朝一番で市場に買いにいって、それからさばいて細かい仕事をし、すべてが用意された店でわれわれは鮨を楽しむことができるのだ。だから、職人の仕事が行き渡ったすべてに、どれがおすすめ?という聞き方はあってはならない。
4)鮨屋に長時間いるのはかっこいいことじゃない
呑まないなら、30分、呑むなら1時間~最高に長くて1時間半、これが奇麗だと思う。
鮨は元々、ファースト・フードだから、という訳ではないが、鮨屋で呑みながらとぐろを巻くのはいかがかなと。
ましてや呑みながら、大声で会社や仕事の愚痴など、もってのほか!それをやるなら他でやって欲しい。
まあ、他の居酒屋ならそれは許されるということはないが。鮨屋はさっと食べて呑んで、さっとお勘定して、さっと帰る、これがルール。(ある意味、回転寿しはルールに則ってるのがおもしろいところだ。回転寿しで1時間も2時間も盛り上がってるのは見たことがない)せっかく新鮮な美味しい魚を仕入れてきている店に2時間も3時間も尻に根が生えたように長居して、挙げ句の果てにぎりのひとつも口にいれずにお会計、という方も。呑み食いした分はちゃんと払うんだから文句はないだろ、って?いやいや、それは筋違いというもの、お客であることの自覚が足りないと言わざるを得ない。
5)ボクなりの鮨屋へのこだわり
最後にボクにとって「鮨屋はこうあらねばならぬ、あるいは鮨屋はこうありたい」といった基本のポイントを三つほど。
a)鮨屋は一階が望ましい
b)入り口は手動の戸口であって欲しい(自動ドアは無粋)
c)店内で音楽がかかっていて欲しくない
この他にもいろいろとあるのだが、これ以上はまたの機会に譲ることにしよう。
(*ちなみに写真は最も好きなにぎり3種=鮪づけ、こはだ、とり貝)

~ 南の島、誇り高きミュージシャンたち ~

no.20180821

BVSC…この4文字を見てピ~ンとくるあなたは余程の音楽通だと思う。
しかし、この4文字で表される音楽の素晴らしさは音楽通だけが知っているものではあってはならないとも思う。
BVSC、そう、これは「Buena Vista Social Club」の略称で、元々はキューバにあった黒人専用のダンス・クラブのことを言う。そこで演奏されていた「ソン」というキューバのオリジナル音楽や、演奏していた人気ミュージシャンたちを現代に呼び戻し、レコーディングしてCDを作り、その風景やツアーの様子を映画にして、たちまち世界中の音楽ファンの注目を浴びたのが1997年、それから約20年経った今年、『Buena Vista Social Club~Adios』が公開された。この20年という時間の中で、BVSCの国宝級といっても良い多くのミュージシャンが亡くなったことも映画は伝えていた。そこでは深い悲しみと共に、イブライム・フェレール、コンパイ・セグンド、ルーベン・ゴンザレスなど、BVSCの人気を支えたミュージシャンの最後の姿を見、彼らの歌や演奏を心から楽しむことができる。

キューバという社会主義国でミュージシャンとして生活をしていた中で、彼らはその音楽的才能とはかけ離れて、ほとんどは貧困のどん底だったとメンバーの一人は言う。が、そのことを苦しいと思ったことはない、逆に貧困であることに誇りを持っているとさえ言い切った。そこには愛する家族と音楽があるからこそ耐えることができるのだと。
実際、ソンの天才的な歌手、イブライム・フェレールはレコーディングの声がかかるまで靴磨きをして生活の糧を得ていた。そんな生活をしていたのは彼だけではない、BVSCのほとんどのメンバーは皆同じ状況だったが、彼らの隣には家族と、そしてなによりも音楽があったことで生きることができた、と異口同音に言う。
BVSCというプロジェクトの成功で財を得、以前よりもずっと楽な暮らしができるようになったことはうれしいことだが、彼らが本当にうれしかったのは貧しさから抜け出すことよりも、多くの人の前で歌い演奏し、一緒に踊ることができることなのではなかったのかと思う。彼らにとって音楽はビジネスではない、生きる糧、人生の喜びであり、誇りなのだ。
ボクは子供の頃から自分には無い「ラテン系気質」に憧れていて、人生を楽観的に捉え、享楽の日々を生きている、そんな彼らをとてもうらやましく思う。音楽を愛し、酒を飲み、踊り、恋をして…。
Oh! What a wonderful world!

BVSCの大成功でオバマ元大統領からホワイトハウスに招かれた時、取材陣から「アメリカとキューバの国交」について聞かれた時、メンバーの一人は「政治的なことはまったくわからないが、自分たちの音楽を聴いている人々がその場で平和を分かち合ってくれたらうれしい」と答えている。自分たちを過大に評価するでもなく、「音楽の力」などと高邁なことばを使うでもなく、素と言い切る姿に感銘を受けた。
映画の中、彼らの楽器を弾く姿や感情あふれる歌声に酔い(観ればわかるが、80代の老ミュージシャンが本当にカッコいい!)、そして、音楽を愛するもの、生業とするものにとって目が覚めるようなことばを聞いて、ボクの心の中で眠りかけていたたくさんの星が、生き生きと輝きだした夜だった。